トラウマと倫理 精神分析と哲学の対話から

【今回取り上げる書籍】

「トラウマと倫理 精神分析と哲学の対話から」

第一章 世界貿易センタービルの悲劇と生き残ること、精神療法

チャールズ・B・ストロージャー / ドリス・ブラザーズ /

ロジャー・フリー / ドナ・M・オレンジ


【本書を選んだ理由】 皆さんがご存じのように令和6年1月1日16時10分に、能登半島地震が起きた。発表者は被災県である石川に住んでいるが、私の住む地域は大きな被害を受けた能登地方から距離がありメディアでみる「被災地」と比べるとほとんどダメージを受けていないかのように見える。しかし、余震に恐怖し不安を抱えて生活し、また臨床の中で能登地方出身の患者さんや被害の大きかった地域から見えた患者さんと関わる中で治療者自身の心は大きく揺らされた。また、県内でも緊急派遣SCなどに積極的に参加している同僚がいる一方で、自分は参加していないことに、自分なりの理由や考えがあるものの、それでも「なぜ参加しないのか」といった問いかけにさらされている感覚が続く。そのような中、震災時の支援者向けの研修や書籍に触れる機会も多いが、自分にとっては本書で語られる治療者と患者の体験が自分自身を整え、落ち着けるために大きな役割を果たしたと感じている。まだまだ、被災地は大きな問題を抱えながらも、支援者にとっても中長期的な視点を持って関わる時期に移行しつつある今、JC参加の先生方とこの大きな災害について、また、それをめぐる色々な想いについて共有したいと考えた。


【文献の内容】 今回紹介する本書の第1章は2011年に広島で行ったストロージャー博士の講演録である。本章はタイトルの通り911の世界貿易センタービルにおける悲劇を生き延びた患者と治療者が精神療法の場の中で、そして外で何を体験していたかが記述されている。

 「患者たち」の項では惨禍を生き延び、日常生活を取り戻そうと苦闘する様子が描かれます。「パーソナルな自己の再登場は、たいてい、謝罪から始まりました。実存的な意味合いでは神への謝罪です。ある人物は愛するもののことばかりを心配しているなんて、私はなんてつまらない人間なのでしょう、とうなだれました。あんなに多くの人々が亡くなったというのに、自分の上司の話をしているなんて、私はなんて浅はかな人間なのでしょう、と述べた人物もいました。本当の痛みを負った人々を無視するなんて、私はなんて思いやりがない人間なのでしょう、とまた別の日とも語ります。こうした但し書きを口にすることで、あるいは、自分より何かもっと大きな力に謝罪することで、患者たちは、本来この治療を必要としたパーソナルな問題に再び没頭できるようになるのでしょう」と、自分自身の問題がささいなものでそれにこだわることについて何らかの言い訳、あるいは、断りを入れる必要があったようだ。また、患者の中には人間関係の維持が困難になり破綻した人たちもいる一方で、パートナーとの絆がより深まったと感じることもあったようだ。

 「治療者たち」の項では、同様に治療者の反応に焦点化されている。「この世界や犠牲者に言及することもなく、自己愛的に自分たちのことばかりを語る患者に対して、怒り、イライラ、退屈を感じ」個人的な事ばかりを話すことが世界の悲惨さを相対的に卑小化しているように捉えることもあるという。また、911以降、「多くの治療者が、彼らの基本的な実践方法を変えたことを明らかにしました。具体的にはそれは、自己開示が優位に増加している事でした。参加の共通体験があると、両者が共有する恐れや感情を語らないことが、どこか馬鹿げたことのように思えてきます」と自己開示を通じて、患者との親密さを深めようとするかかわりが増える一方で、専門家としての中立性が崩れているように感じたり、治療者が傷ついていることから頼りなく感じられたりしていることが報告されている。そして、治療者にトラウマへの羨望があり、生活が一変した同僚に対してうらやむような態度を取ったことが示されている。

 続く「苦悩」の項では、夢の報告とともに、子ども時代の体験と結びつく様子を描いている。

 

【発表者の感想】 私の住む地域は震災の被害が大きかった能登地区から距離の離れた加賀地域である。当日の揺れは大きく、津波警報に不安を感じて避難をした人も多かった。しかし、メディアに映る能登地区の惨状と比較し、また二次避難で非難されてきた能登地区の方々と関わる際に、「大変だった」「驚いたね」という前に「能登の人たちと較べたら全然大丈夫なんだけど」と言わなくてはいられない感覚がはっきりとあった。「自分自身のこと」は些細な事なのだ。一方で、本書での記述とは反対に私が会う患者の多くは、セッションの始まりのあいさつの中で触れた以降はほとんど震災についての不安については語らず、なるべく以前のセッションで扱っていたことの流れのままにしようとされていると感じた。これは、震災について語ることをタブーとしているというよりも、自分自身が被災者であるかのようにふるまう事への「おこがましさ」のようなものを私も含めて感じているのではないかと考えた。

浅田 伸史(小松市民病院 / さぶりクリニック / 児童家庭支援センター ファミリーステーションいなみえん)

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