The Psychoanalyst's Superegos, Ego Ideals and Blind Spots.
【今回取り上げる書籍】
The Psychoanalyst's Superegos, Ego Ideals and Blind Spots:
The Emotional Development of the Clinician(2019)
著者:Vic Sedlak 出版社:Routledge
*訳書『心理療法家の情緒的成熟 — 逆転移に含まれた超自我、自我理想、盲点を考える』(乾吉佑監訳,2022)
【本論文を選んだ理由】
キャリアの中盤に差し掛かると、専門家としての自らの在り方を誰しも考え直す機会があるだろう。若手の頃に抱えていた自らのキャリアや専門性をめぐる多くの迷いや葛藤は、中堅ではまた別の形としてあらわれてくる。特に精神分析的心理療法や精神分析に基づいた臨床実践を行っている者において、日本の現状を踏まえるならば、多くの葛藤や困難さがあるように思われる。若いころに迷いながらも、盲信しつつ学び取り入れた精神分析的な見方や考え方を相対化し、自分らしい臨床家をさらに模索していくことになる。やはり精神分析とは探求する価値のあるものでありさらなるコミットメントをしていくのか、あるいは意義があり含蓄のある興味深い視点を提供してくれると認識しつつも、その価値は本当に自分をかけるくらい重要なものなのだろうか、と。本書を選んだ私の動機は、このようなものであるが、当然のことながら答えが本書に書かれているわけではない。しかし、本書でセドラックが描きだす、彼自身と彼の同僚の精神分析家のキャリア発達における内的体験プロセスには、私たちが、精神分析をいかに学び、実践し、いかに自分らしくあり続けるのかという、その迷いと苦悩を持ちこたえていくための重要な示唆が多く含まれている。精神分析に価値があるのかを判断するのは本書を読んだ読者であり、本書自体にそれが記述されてはいないが、精神分析家、精神分析的セラピスト、精神分析を学んで活用しようとする臨床家が成長していくプロセスで陥るだろう多くの共通項が提示されているので、私たちの日々の個人的悩みが実際にはキャリア発達上誰しも経験するもので、乗り越えていく必要があるものだと理解できれば、もう少し探求を進められるかもしれない。セドラックは2013年に開催された日本精神分析学会において、「成長した心理療法家における発達-大切な対象の哀悼が必要なこと-」と題した講演を行っている(精神分析研究57(3) :220-233)。「大切な対象」とは、私たちに影響を与えている精神分析の先達であり、私たちがさらなる発展を遂げるためには、そのモーニング・ワークが必要であることを彼は主張している。本書においても、この考えが基本にはある。私たちが魅了され訓練と実践を積み重ねている、この精神分析とはいったい何なのか、私たちにどのような影響を与えているのだろうかと、あらためて議論する意義はあるだろう。本書はその議論のための題材が多く含まれている。
【本書の概要】
本書は、次のような8章から構成されている。1.精神分析治療の目的、2.精神分析家の超自我、3.恐怖から不安へ、4.精神分析家の自我理想、5.分析の失敗を考えること、6.スーパーヴィジョンの仕事、7.他のアプローチへの検討、8.終わりある敵意と終わりなき敵意。セドラックは、中間学派の精神分析家に位置づいているようだが、本書を読む限りでは、その中心的スタイルはポストクライン派のように思われる。彼は、逆転移に関する研究を積み上げてきている。どの章も、分析家の陥りやすい逆転移についての考察であり、分析家の個人的テーマと、治療関係上のテーマが微妙に絡み合う複雑な課題に焦点をあて議論している。今回私は、第2章の「精神分析家の超自我」、第4章の「精神分析家の自我理想」を取り上げて、議論したいと思う。両章において、フロイト以来、精神分析の中でそれぞれの概念がどのように位置づき、変遷してきたのかを概観した上で、事例を用いて、いかに精神分析家が自らの超自我や自我理想の問題が、日常的な実践に入り込み、患者との関係に困難さをもたらす可能性があるのかが描写されている。セラピーにおいて通常私たちはクライエントの超自我や自我理想の問題を検討するかもしれないが、セラピスト自身について検討することも重要であり、その上で有益な検討点をセドラックは提示してくれている。私たちは、影響を受けた先達たちのモーニング・ワークを進めることができるだろうか? 私たち個々人が臨床におけるアイデンティティを発達させていく上で、精神分析をどのように位置づけることができるだろうか?
吉沢 伸一(ファミリーメンタルクリニックまつたに)
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