マリアン・トルピンとのスーパービジョン:トータル・トランスファレンス(全体転移)

【今回取り上げる論文】

「Supervision With Marian Tolpin: The Total Transference」(2012)

著 者:Thetis R. Cromie D.Mn. Ph.D.

International Journal of Psychoanalytic Self Psychology, 7:1, 112-130.


【本論文を選んだ理由】

精神分析では治療者が症例の転移を扱えているかどうかが、「精神分析とみなす」上での重要な判断基準とされる。「扱えている」とは「できている(can)」かどうかということであり、それが「できていない(can’t)」治療はたとえ症例の症状や問題が改善されたとしても、「これは精神分析じゃない」と烙印を押されることにもなりかねない。しかし精神分析で扱うべき「転移」とははたしてどういうことなのだろうか?精神分析でワークスルーすべきとされる転移は一般的に「病的な転移」であるとされるが、はたして分析でワークスルーすべきことは「病的な転移」に限られるものだろうか?

Kohut, H.はこれまでの伝統的な精神分析で取り扱うべきとされてきた転移を病的なものではなく、発達促進的な意味があることとして転移の健康的側面を積極的に論じ、転移概念のパラダイムシフトを起こした。またMarian Tolpin (2009)はフォワード・エッジ転移(Forward Edge Transference)の概念を提示し、転移の健康的で創造的な意味と実践効果を鮮やかに示している。それでは「健康的な転移」を実際の分析場面においてどのように扱えばよいのだろうか。本論文はTolpin, M.がスーパーバイザーを務めた、スーパーバイジーによるケーススタディである。Tolpin, M.のスーパービジョンではどのようなことがスーパーバイジーとの間で語られているかに、私は臨床家として強い関心を抱く。

今回、NAPIのジャーナルクラブで本論文を取り上げてみたのは、Tolpin, M.のスーパービジョン体験を私たちも追体験しながら、フォワード・エッジ転移(Forawrd EdgeTransference)の臨床実践について学んでみたいというのが理由である。そして精神分析における「転移」について、参加者と一緒に理解を深めていければと思っている。


【本論文の概要】

 本論文の著者はシカゴ精神分析研究所およびロヨラ大学シカゴ校に所属しているThetis R. Cromie博士である。医学博士Marian Tolpinが2年半に及ぶThetisのスーパーバイザーを務めたコントロールケースを提示しながら、Tolpin, M.がスーパーバイジーとの間で本症例をどのように理解していったか、そしてスーパーバイジーが見落としていた健康的な転移の側面についてのTolpin, M.の語りが記録されている。論文で提示された症例Bob(仮称)は30代の独身のゲイで、ボーイフレンドとの失恋を契機に治療が開始されるが、服薬治療だけでは軽快せず、週4回のカウチによるThetisとの精神分析が開始されている。Thetis はBobの中心的問題を「力強い男性になりたい願望」と見立てて分析を行なっていく。Bobとのセッションが進んでいく中で、彼が印象的な夢、すなわちマンションをリフォームする夢を報告しているのだが、この夢についてTolpin, M.はスーパービジョンの中で、夢の中にトレーリング・エッジとフォワード・エッジの両方が見えることを指摘している。Bobのリノベーションの願いは、マンションに喩えられた健全で壮大な自己のテンドリル(植物の巻きひげ)であること、これは「シシィ(男を好きな男の子)」や「ファグ(同性愛者)」という蔑称で表現される、傷ついた彼への見方とは対照的なフォワード・エッジであることをTolpin, M.は読み解いていく。このようにTolpin, M.のスーパービジョンでは、分析家が気づくことのなかったフォワード・エッジ転移への理解が印象的に語られていた。治療の過程で症例は新たな自己肯定感を持ち、さまざまな影響を許容できるようになり、複雑さを理解する能力を高めて自分と他人を理解できるようになっていった。これらのことはすべて、症例が想像していたよりもはるかに充実した人間関係を実現するという目標に貢献することとなっていった。この分析でBob自身も信じることのできなかった彼の自己肯定感が育まれていき、そしてその成果を分析のおかげであることをBobが感謝しながら、分析は約4年で終結している。

ThetisはTolpin, M.とのスーパービジョンを通して、異なる転移、すなわち病理による転移と健康的な転移といった二つの転移の次元があることを理解し、それらがしばしば絡み合っていることを理解するようになっていく。また本論文ではTolpin, M.の概念的枠組みが精神病理を治すだけでなく、心理的能力や心理的リソースの発達を促進することができることも示していた。


【発表者の感想】

本論文で描かれた被分析者はゲイの方であった。治療者との精神分析の果てに辿り着いた先が、この症例にとっては「自分は病気じゃない」と思えたことであったことに、私は良い意味での衝撃を受けた。このことが示したパラダイムシフトは極めて重要であり、精神分析で扱うべき転移はなにも「病的なもの」であるということに限らないこと、「健康的な転移」を含めて全体としての転移概念を扱うことへの勇気をもらえたようにも思うからである。本論文は転移概念をより豊かで、治療的意義のあるものに拡充させてくれていると感じた。

私たち臨床家はなんらかの問題を抱えた患者が来談した際、患者の「病的な部分」をアセスメントするように訓練されてきた。しかしそれと同時に、いえ、実はもっと重要なこととして、患者の脆く繊細な「健康的な部分」を見逃してはいけないということをTolpin, M.は臨床実践を通して証明し、教えてくれているように思った。


【引用文献】

Marian Tolpin(2009) A New Direction for Psychoanalysis: In Search of a Transference of Health, International Journal of Psychoanalytic Self Psychology, 4, 31-43.

池 志保(福岡県立大学)

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