中動態から考える利他―責任と帰責性
【今回取り上げる著書】
『中動態から考える利他―責任と帰責性』(2021年)
著者:國分功一郎
「利他」とは何か(集英社新書) 第4章
【本書を選んだ理由】
國分は2017年の『中動態の世界―意志と責任の考古学』以来、一貫して責任について考えている。國分自身が言うように、当該書では意志の概念は徹底的に批判されたが、責任概念については十分に思索が深められていない。彼はその後、熊谷晋一郎との共著で『<責任>の生成』を出版するなどしているわけだが、最新版がこの論文になる。本論で重要なのは「責任responsibility」と「帰責性imputability」の区別を試みたことである。國分の思考は着実に進展しているが、社会における「責任」という概念をいまだ十全に説明できているとは言いがたいので、みなさんとさらに考えられればと思って選択した。
【本書の概要】
ポストモダンにおいては近代的な主体性が批判された=主体の能動性が疑われた=受動性が強調された。だが能動/受動の対立ではシーソーにしかならないので、この対立をこそ「脱構築」せねばならない。そこで登場するのが中動態である。そもそも「能動的な主体」という概念の存在理由は、責任概念にある。ポストモダニストとして主体概念は批判するにしても、責任概念については別のものを提示せねばならない。
能動と受動を対立させるのは、自発的か否か=意志の有無を明確にするためであり、「尋問する言語」と言える。だが、古代ギリシアには意志の概念はなく、それは歴史上のある時点で登場したものである。なぜ登場したかと言えば、意志概念を使うと行為をある後者に帰属させることができるからだ。本当は原因はどこまでも遡れるが、それでは誰にも責任がなくなってしまうので、意志概念を使ってその因果関係を切断することにより、責任主体を指定することができるのである。
だから意志概念は理論上のものにすぎない。しかし責任概念は現代においても必要なものである。ゆえに責任を肯定する思想を作りたい。そこで肯定される責任概念は、意志という不完全で問題含みの概念に依存するのではない概念でなければいけない。そこで参考になるのがギリシア悲劇。そこでは運命の被害者としての人間と、決定的な何かをなした加害者としての人間という一見対立する考えが並立している。
この被害者と加害者の両立というのは、現代の加害者臨床における治療共同体や当事者研究にも見られる構図である。そこでは免責によって責任感を抱くことが可能になる、というテーゼがある。
私たちはこれまで、責任responsibilityと帰責性inputabilityを区別してこなかった。前者は応答responseに由来するもので、自らがもたらしてしまった被害と被害者に対して、自分が応答しなければならないと心から感じることであり、実に中動態的である。後者は罪の帰属先を確定することだが、帰責されたからといって責任を感じるとは限らないという問題がある。今後は両者を区別し、応答としての責任そのものを概念化したい。
【発表者の感想】
たしかに責任と帰責性の区別は重要である。國分が興味を寄せている依存症臨床や加害者臨床でも役に立つだろう。だが、臨床では明確な被害―加害関係がないことも多いし、万能なわけではない。
國分の言う意味での「責任」を取れるようになることが、ひとつの典型的治癒像であることはまちがいないだろう。でも一方には「失敗してもなんとなく許し合って生きていければいいじゃん」と思えるようになる、といったような治癒像もある。それは責任も帰責性もない世界、と言えるかもしれない(それは近代以前の世界なのかもしれない)。國分は責任概念は活かすべきだと言うが、しかし私たちが現行の社会制度を採用し続けるのであれば、帰責性の概念を棄却するわけにもいかないだろう。
また、免責により中動態的に責任の感覚が生まれるというのが國分の論であるが、実際には依存症臨床や加害者臨床のプログラムでは相当に「心理教育」が埋め込まれている。これはまったくもって中動態的ではない。本当に免責が責任感覚をもたらすのか。どうすれば責任が生成できるのか。そもそも責任は生成すべきなのか。このあたりをみなさんと議論できればと思う。
【ジャーナルクラブでの発表を終えて】
発表自体は30分ほどで終わり、90分ディスカッションの時間があったのだが、沈黙になることはほとんどなく、非常に有意義な会となった。話題の中心は責任と帰責性についてであったが、古澤の「罪悪感の二種」・PS的な罪悪感とD的な罪悪感といった概念と接続されたのは蒙を啓かれる思いであった。
「免責されることで責任が生じる」というテーゼについても議論が交わされた。テーゼどおり、自助グループなどそうした場が用意されることで責任を感じることが可能になる人がいることも事実だが、そもそもそこに乗れない人もおり、そこでこそ私たち分析的心理療法家が役に立つのではないか、という整理は、非常に納得のいくものだった。
全体として、本当に面白かった、というのが感想である。議論につきあってくださった参加者のみなさんに感謝したい。
山崎孝明(こども・思春期メンタルクリニック)
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