アカデミズムと当事者ポジション

【今回取り上げる論文】

アカデミズムと当事者ポジション

著者:上野千鶴子(2018)

『臨床心理学』増刊11 pp.112-118.


【本論文を選んだ理由】

  べてぶくろの一件でいっときの勢いは失ってしまったが、当事者研究という枠組みは一世を風靡した。それだけでなく、「専門家」としての私たちの臨床を根本的に考え直すような問いをつきつけていたと思うが、あまりそれについての応答は見られない。私自身も悩んでいるので、みなさんと議論できればと思い、2017-19の3年連続で当事者研究の特集を組んだ『臨床心理学』の増刊号を見直してみた。はじめは信田さよ子にしようかと思ったのだが、よりメタレベルの問題を扱っている本論文を今回取り上げることとした。


【文献の内容】

 スピヴァクは「ポストコロニアリズムは強姦から生まれた子ども」と述べたが、異文化接触acculturationは圧倒的なヨーロッパの優位を背景に、権力の非対称を前提にした選択の余地のない強要であった。ただ、どんなに呪われた出生でも、そこには新しい知と文化が成立する。その新しい文化は、原理的に観察者が立ち会わない場面でしか見ることができない。「権力者は、下位者が自分のいないところでどんなふるまいをするかを、ついに知ることがない」のだ。ポスコロ・カルスタが、西欧の自意識(無意識)を露見させた結果、「人類学者はしだいに書けなくなった」。こうなると、良心的な人類学者の中から現地化するgoing nativeひとがあらわれる。「そうなれば人類学者はもはや研究者ではなく、社会運動家か生活者となる」(臨床心理学会の道)。他方、当事者自身が自らの社会や文化を研究する手助けをするひとも現れた。これが現地人人類学者 native anthropologistである。現地人人類学者は、宗主国で教育を受けた植民地知識人と同じ位置に立つ。つまり、宗主国の言語で、宗主国国民に理解可能な話法で、自らの属する集団を「代表・代弁」しなければならなくなる。植民地エリートに宗主国の教育を与えるのは、彼らを帝国主義的支配の有能な代理人に仕立て上げるだけでなく、現地人文化の無難な翻訳者・代弁者にするためでもある。人類学者の現地化か、現地人の植民地エリート化か。この二者択一のあいだに陰路はないのか?ポスコロはここに解を与えた。スピヴァクの言う、「敵の武器をとって闘う」戦略である。フーコーによれば、知は権力であり、「状況の定義権」こそ権力の行使にほかならない。そうやってマジョリティとマイノリティの関係は変わっていく。女性学・ジェンダー研究を例にとれば、ジェンダーやセクシュアリティ、セクシュアル・ハラスメント、ドメスティック・ヴァイオレンス、家父長制、ミソジニーなどなどの新しい概念を、既存の言語のなかに次々と付け加えていった。

 女性学はアカデミアの外で民間学として成立し、やがてアカデミアのなかに参入して市民権を得ていった。女性学の「制度化」は、女性学みずからが求めたものだった。当事者研究はどの方向に進むのかの岐路にある。アカデミアの外に立てば、アカデミズムを揺るがすことはできず、またアカデミズムによる領有を許すことになる。反対にアカデミアの内に参入すれば、「ミイラ取りがミイラになる」リスクが待ち受けている。アカデミアにおける当事者ポジションとは、その両極の狭い隙路をたどるようなものなのだ。

註)

 現代においては学問の自己言及性/再帰性が前提となっている。その前提に立てば、「その研究は主観的だ」というのはしばしば「偏った」「歪んだ」「信用ならない」という意味で使われるが、「信用ならない」研究は、たんにその研究が二流であるだけのことであり、「主観的」であることと同義ではない。研究に主観的な研究と客観的な研究があるわけではない。たんに「正確な(correct)」研究、「妥当な(valid)」研究と、そうでない研究があるだけである。

 話は「女性学」に移る。女性学が登場したとき、女が女を研究対象にすることに対する強い抵抗があった。女が女を研究すれば、「主観的」であり、したがってそれは「学問でない」と言われたからだ。上野がこの分野を牽引してきたことはみなさんもご存じだろう。上野は女性学を「女の、女による、女のための学問研究」(井上輝子)と、男性学を「フェミニズムを通過したあとの男性の自己省察の学問」と定義することとなる。


【発表者の感想】

 「専門家」として私たちはどうふるまうべきだろうか。現地化する以外に解はないのか。分析の文脈で言えばエディプスの問題であるし、ふつうの言葉で言えば権威とのつきあい方、権威のなり方、のような話だと思う。心理臨床もアカデミアの中に位置づけるのか、在野に位置づけるのか、ずっと葛藤を抱えてきているように思う。私は在野だが、アカデミアにいらっしゃる方も多いNAPIの方々と、そのあたりを話せればと思う。


山崎孝明(子ども・思春期メンタルクリニック)

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