精神分析におけるフィールド理論
【今回取り上げる著書】
Donnel B. Stern Ph.D. (2013) Field Theory in Psychoanalysis, Part I: Harry
Stack Sullivan and Madeleine and Willy Baranger, Psychoanalytic Dialogues, 23:5, 487-501.
Donnel B. Stern Ph.D. (2013) Field Theory in Psychoanalysis, Part 2: Bionian Field Theory and Contemporary Interpersonal/Relational Psychoanalysis, Psychoanalytic
Dialogues, 23:6, 630-645.
精神分析におけるフィールド理論、第1部:
ハリー・スタック・サリヴァンとマドレーヌとウィリー・バランジャー
精神分析におけるフィールド理論、第2部:
ビオニアン・フィールド理論と現代対人関係/関係精神分析
ドネル・B・スターン Ph.D.
【本文献を選んだ理由】
発表者は昨年Katz,Mによる世界の様々なフィールド理論を比較した著書を紹介した。そこでは、Katzは北米の分析家であるがそれぞれのフィールド理論に対してできるだけ中立な立場で比較しようと試みられている様子がうかがわれた。一方、本年の文献は北米のおけるフィールド理論の主たる提唱者であるSternが南米のBarangerらやイタリアのFerroについて論じたものであり、より踏み込んだ討論がなされているのではないかと考えて関心を持った。
【文献の内容】
本文献は2章に分けられている。PartⅠではフィールド理論の源泉としてSullivanとBarangerらが取り上げられる。SternはSullivanは同年代のLewinやシカゴ学派の影響を受けながらフィールド理論を作り上げていったが、フィールド理論の構築自体がSullivanの目的ではなかったため、あまりまとまって明示的に論じてはいなかった。しかし、SternはSullivanやその後の関係精神分析の著者たちは明言しているか、していないかにかかわらず、フィールド理論的な発想なのだとしている。一方、FerroはBarangerらが精神分析にフィールド理論をもたらしたとしているが、Barangerらの仕事は60年代以降であり、Sullivanはそのもっと前の20年代から40年代にかけてフィールド理論を論じていたのだと強調している。またSternはBarangerらの「本質的な曖昧さ」を強調している点が、関係精神分析の著者たちと共通だと強調する。ただ、関係精神分析の著者たちが本質的な曖昧さを必然的なものだとしているのに対し、Barangerらが意図的に維持するべきものだとしている点で異なっている。また、無意識的空想についても取り上げ、Barangerらは無意識的空想を対人関係による分析状況の理解とつなぎ合わせている点が刺激的で、後のFerroらにつながっているのだと論じている。しかし、一方で、Barangerらは逆転移は内的経験のみに制限するべきものだとしているところが関係精神分析とは違うともしている。PartⅡでは現代のイタリアのFerroらのビオニアン・フィールド理論(BFT)と現代の対人関係/関係精神分析(IRP)との比較が行われる。Sternは論理的な必然性に基づいた理解を嫌い体験に近い理解を強調する点でBFTとIRPは共通であるとし、またフィールドが共同で作り上げられるものだという理解にも賛同する。ただ、一方で同様のことをIRPの理論家が異なる方向から以前より主張をしてきたことについては理解されていないのではないかと主張する。また、相違点としては無意識的空想についての理解があげられる。BarangerらやBFTで強調されているのが、内的世界同士の対話だという点でIRPとは異なっている。また、Ferroの患者の語りをすべて内的世界の表現(夢)として理解する方法は受け入れがたいとする。Ferroがそれを認識論的なものではなく、分析状況で限定的にそうすることをすすめているだけだということは、幾分はSternを安心させるが、それでも不安は残っている。Ferroの内的世界への集中と、患者に対する彼の情緒的な反応の自由さや遊び心は計り知れないくらい生産的であるとしながらも、内的世界にのみ集中することがトラウマの意味を奪ってしまうことや、BFTの臨床家が自分の頭に直観的に思い浮かんだことが患者の無意識とつながりがあるということを確信しすぎているように思うということを指摘している。また、最後にBFTの論文の臨床例が破壊的なものが少ないことに言及し、それが扱っている臨床群の影響なのか理論からくるものなのかといった疑問を投げかけて論文を終えている。
【発表者の感想】
昨年のKatzの「共通点を見つけてみんなの基盤にしましょう!」というような目的で書かれたものとは異なり、こちらの論文は「そんなことこっちではとっくの昔から言ってたんだから!」といった対抗する調子があるのを感じられる論文である。ただ、その対抗意識を差し引いたとしても、特に無意識的空想に関する考察などは興味深く、クライン派をはじめとした対象関係論のもっともと特徴的な部分は無意識的空想の概念なのだということを改めて感じさせてくれる。また、Ferroを中心としたBFTがクライン派とIRPとのちょうど中間くらいにあるものなのだろうというところが見えてくるようである。
小林陵(横浜市立大学附属病院)
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