親切(Kindness in Treatment)

【今回取り上げる著書】

Sandra Buechler(2004) 第3章 親切(Kindness in Treatment) 

“CLINICAL VALUES:EMOTIONS THAT GUIDE PSYCHOANALYTIC TREATMENT” サンドラ・ビューチュラー『精神分析臨床を生きる 対人関係学派からみた価値の問題』


【本文献を選んだ理由】

 本書は、治療者と患者の感情の問題について、日常の平易な言葉を用いて書かれている(…と訳者があとがきに書いている。私は原著を読んでおりません…)。理論の学習が苦手な私にとって手に取りやすく、さらにはセラピーが生き生きとした豊かなものになるために必要なものは何なのか、自分の体験と照らし合わせながら読み進めることができた。 本書の中で著者は、治療に不可欠な要素、それも患者と治療者の双方にとって必要と考えられる要素について論じている。各要素とは、好奇心、希望、親切、勇気、目的感覚、感情のバランス、喪失に耐える力、人格の統合性である。今回、「親切」を選んだのは、治療の中での治療者から患者への親切は、それが行為となって表れた場合には、治療を妨げるものと受け取られてしまうように感じられるが、それが本書では治療に必要なものとして述べられており、この「親切」が治療に与える影響について深く考えたいと思ったためである。 


【文献の内容】

 最初に、筆者が訓練生時代の分析家との体験について記している。当時、筆者は研究所内のもめ事に巻き込まれており、分析の中でそのことを吐き出すように話した。その次のセッションで、分析家は待合で出迎えると、セッションをする代わりに「あなたをランチに連れていきたい」と誘った。ランチの席で分析家は、筆者の置かれている状況を十分に理解した上で「あなたの態度は正しい、自分の意見を曲げずに進むべきだ」「このことを分析以外の場で伝えたかった」と言った。 →このことをどう考えるか?筆者にきわめて強い影響を与えたこの出来事は、通常の枠とはかなり違っていた。あのような行為をさけるべき理由はいくらでもあったはずだが、分析家はおそらく随分と悩みつつも、筆者の現実的な今ここでの体験の中に登場してきた。ほとんどの人が通ったことのない道を選んだということが、筆者にとっては分析家の印象をより強いものにした。この出来事は分析家の親切から生まれた行為であると筆者は確信している。この行為は、エナクトメントの形をとった、とても強烈な治療的行為の劇的な一例であったと筆者は理解している。 →エナクトメントとは?好ましくない逸脱なのか?好ましくないが日常的に起こりうること、さらには、治療には必要で有益なものなのか?いろいろな認識はあるが、エナクトメントのもつ他の側面として、一般化できる価値を表す行為と言えるのではないか。明白に説明できるような形での親切がないと、治療は続かない。 また、本章では、上に述べたような治療者の積極性としての親切のみならず、犠牲というかたちをとる親切について「自分の心の平穏やプライドを良い治療のためにささげる」ということも挙げている。それも「自分にとって心地よくそして優雅に差し出すやり方」を見つけなくてはならない。 


【発表者の感想】

 治療者の積極性としての親切は、枠を逸脱する行為と言ってしまえばそれまでであるが、その行為の背景に、セラピストとクライエント双方の思いがあり、そこをいかに想像したり思いを温めることができるか、その大切さを深く感じることができた。また、治療者側の犠牲として、自分の身をさらしつつ治療を進めることについては、治療者の覚悟や態度といったところとも通じるように思う。そこを「親切」という言葉をつかって述べているところに懐の深さを感じる。さらには「心地よく優雅に差し出す」という治療者側の余裕や温かさは、自分にはまだまだ備わっておらず、一生かけても難しいものなんだろうなあ…とも感じている。だからこそ、臨床の道は奥が深く、まだまだわからないことも多く、もがきつつも探っていきたいと思っている。


                                  榮阪順子(三原病院)




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